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正解のない社員対応【前編】 会社はどこまで求め、どこまで支援する?

社員にどこまで求め、どこまで支援するのか― 正解のない社員対応の考え方


先日、楠木建教授のAI時代の意思決定についての記事を読んだ。
そこで論じられていたのは、戦略的な意思決定には「外部的な正解」が存在しない、ということだった。

AIは情報を集め、選択肢を整理し、それぞれのメリットやリスクを示すことができる。
しかし、「どれを選ぶべきか」まで自動的に決まるわけではない。

何を大切にするのか。
どのリスクを引き受けるのか。
何を諦めるのか。

それを決めるのは、経営者である。


職場のメンタル問題にも、よく似た構造がある。

精神科産業医も、経営者の代わりに「この社員をどうするべきか」を決める存在ではない。
医学的な状態や就業上のリスクを整理し、必要な配慮や改善可能性を検討し、会社だけでは解決できない部分を区別する。
そうした判断材料を整理することはできる。

しかし、
・社員にどこまでを最低限として求めるのか。
・どこまで成長を期待するのか。
・どこまで会社が支援するのか。
・どこから先を会社だけでは抱え込まないのか。
その基準を決めるのは、会社である。


AIが経営判断を支援しても、経営そのものを代行できないのと同じように、精神科産業医も経営判断そのものを代行することはできない。
だから必要なのは、「正しい社員対応」を探し続けることではない。

<自社として、何を求め、どこまで支援するのかを決めること>である。

同じ社員でも、職場によって問題は変わる


例えば、
・指示を一度では理解しにくい
・作業は正確だが時間がかかる
・急な変更への対応が苦手
・こだわりが強い
・周囲との意思疎通ですれ違いやすい
という社員がいたとする。

工程が明確で、決められた作業を正確に繰り返す職場では、慎重さや正確さが強みになるかもしれない。
一方で、少人数で複数業務を兼任し、急な変更や顧客対応を求められる職場では、大きな困難になる可能性がある。

つまり、職場で起きる問題は、本人の中だけにあるとは限らない。

見るべきなのは、
本人の特性と、職務や職場環境との組み合わせ
である。

同じ特性でも、職務が変われば問題にならないことがある。
逆に、別の職務では大きな支障になることもある。

「病気だから」でも「努力不足だから」でもない


職場で問題が起きると、原因を一つに決めたくなる。

うつ病だから。
発達障害だから。
本人の性格だから。
上司の指導が悪いから。
会社の配慮が足りないから。


しかし、実際には、
・精神疾患や発達特性
・業務能力や経験
・本人の行動傾向
・指導方法
・職務設計
・人間関係
・業務量
・組織文化
・労務管理
といった複数の要素が重なっていることが多い。


指示を理解しにくい社員がいても、本人の理解力だけが原因とは限らない。

指示が抽象的なのかもしれない。
手順が統一されていないのかもしれない。
質問しにくい職場なのかもしれない。

一方で、指示方法を変え、手順書を作り、確認の機会を増やしても、なお必要な行動が取れないこともある。

だから、最初にすべきなのは「誰が悪いか」を決めることではない。
何が、どの程度、職務遂行を妨げているのかを分解すること
である。

診断名も、この整理のための一つの情報にすぎない。
発達障害だから大幅な配慮が必要とは限らないし、診断がないから配慮が不要とも限らない。

見るべきなのは、診断名ではなく、
この職務で何が難しく、どの条件なら働けるのか
である。

まず決めるべきは「最低限のライン」


対応の難しい社員について考えるとき、会社は「どこまで成長してほしいか」を先に考えがちである。

しかし、その前に決めるべきことがある。
この職務を続けるために、最低限何が必要なのか。
である。

例えば、
・安全上の指示に従う
・無断欠勤をしない
・必要な報告や連絡を行う
・暴言や威圧的な行動をしない
・担当業務を一定水準で遂行する
といった基準である。

もちろん、必要な基準は職務によって異なる。

製造現場では安全、
物流では時間や手順、
対人援助職では顧客や利用者への言動が重要になる。

ここで大切なのは、
「理想の社員像」と「最低限の基準」を分けること。

明るく雑談できる。
空気を読める。
自発的に動ける。
後輩を指導できる。

こうした能力はたしかに望ましい。
でもこれらすべてが雇用継続の最低条件ではない。

会社が最初に明確にすべきなのは、
「理想的にどうなってほしいか」
ではなく
「この職務を続けるために、何が不可欠なのか」
その必要条件である。

「最低限」と「期待する水準」は別である


最低限のラインを決めた後に、次の問いが出てくる。
この社員に、どこまで成長を求めるのか。

現在の仕事を安定して続けられればよいのか。
一定期間内に独力で業務を行ってほしいのか。
複数業務や後輩指導まで求めるのか。

ここで重要なのは、

「成長できる可能性」と「会社がそこまで育成するべきか」は別の問題
だということである。

時間をかければ成長する可能性はあるかもしれない。
しかし、一人の社員に管理職が長時間対応し、
同僚が業務を補い続け、
特別な手順や配置変更を繰り返すのであれば、
それが経営として妥当かは別に考える必要がある。

会社は、
・どの水準まで求めるのか
・どこまで育成資源を投入するのか
・どの期間で変化を見るのか
・何をもって改善と評価するのか
を決めなければならない。

支援は会社と本人の共同作業である


職場の支援は、会社が本人の希望をすべて受け入れることではない。
同時に、本人にすべてを任せることでもない。

会社側には、
指示を具体的にする
優先順位を明確にする
手順書を作る
面談を行う
業務量や担当業務を調整する
医療機関などと連携する

といった支援がある。

一方で、本人にも、
・自分の体調や苦手さを理解する
・必要な治療を受ける
・困ったときに相談する
・指摘された行動を振り返る
・改善策の検討に参加する
ことが求められる。

会社だけが努力しても、支援は成立しない。

逆に、本人が努力していても、職務との適合が悪かったり、会社側に調整余地がなかったりすることもある。

見るべきなのは、
双方が現実的な範囲で取り組み、その結果として働き続けられる条件を作れているか
である。

正解探しではなく、自社の基準をつくる


対応の難しい社員がいると、会社はつい「正しい対応」を探そうとする。

しかし、誰にでも当てはまる唯一の正解なんてない。
だから必要なのは、自社としての基準を決めること。

・何を最低限として求めるのか
・どこまで成長を期待するのか
・どのような支援を行うのか
・本人に何を求めるのか
・どの期間で変化を見るのか

ここまでが明確になって、
初めて会社は、支援を続けるべきか、見直すべきかを考えられるようになる。


しかし、もう一つ問題が残っている。

会社ができる支援は、工夫しようと思えばいくらでも増やせる(かもしれない)。
でも、
いったいそれをどこまで続けるべきなのか。
改善の可能性がある限り、支援を続けるべきなのか。
一人の社員への支援によって、上司や同僚が疲弊している場合はどうするのか。
会社として、どこから先を「限界」と考えたらよいのか。

後編では、
支援の限界を決めることは、責任放棄なのか。
という課題について、
会社が責任を持って取り組む範囲と、会社だけでは抱え込まない範囲をどう見極めるのか、
そして、その判断を精神科産業医がどのように支えるのか、
を整理したい。

続きます。

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濱川太一氏、2026年7月27日公開